本を読め
教育熱心というより執着が強すぎた毒母。
そんな彼女は、熱心に本を読むように言っていた。
国語の成績が上がるからと。
幼い私は純粋に信じ、母を喜ばせるためにたくさん本を読んだ。
学校の図書室へ足繁く通い、貸し出しカードを埋めていくのが幸せだった。
学年でも貸し出し数はトップクラスだったと思う。
が、私の国語の成績は優秀といえるものではなかった。
悪くはないが、偏差値でいうと55-60くらい。
当たり前だ。
私は本を借りる、という行為に執着し、中身の理解をしていなかったからだ。
それでも、たくさん本を読んだよ!いうと毒母が喜んでくれるから、やめられなかった。
本を読むという行為には、読解力と言葉の理解が必要だ。また、本を通じて、いろんな考え方世界を知ることができる。
ちなみに毒母が本を読んでいる姿を見たことがない。一緒に住んだ二十数年で3冊とか?かな。
毒母には本を読む子=頭のいい子という認識があった。
確かに本をたくさん読む子には頭のいい子が多かった。あながち間違いではない。
しかし、毒母は本質を理解していなかった。
闇雲に本を読むという行為だけを強要する。
彼女は中身を知らないから形だけ、本を読むという行為のみを称賛した。
これでは国語の成績が上がるわけがない。
毒母は読書感想文にも力を入れていた。
しかし、書き方指導はなかった。
読書感想文の書き方といった、本は買ってくれたかな(笑)
特にクラスの代表に選ばれ、賞に応募されることを願っていた。
だから、私なりに一生懸命考えて書いたものの、残念ながらクラス代表に選ばれることは一度もなかったな。
仲の良い友達が選ばれて、感想文を手直ししている姿をみると悔しかったなぁ。
でも、毒母には絶対にいえなかった。
だって、なぜお前じゃなくてあの子が!
絶対怒り出すもの。
毒母はとにかく負けず嫌い。
自分の子がナンバーワンじゃないと許せない。
大人になった今、私は本を読むのが嫌いではない。
自ら進んで、選んで本を読む。
その行為は楽しい。
何をやるにしても他人に強制されるべきではないと、強く感じる今日この頃。